無輸血手術

集中治療室15日間

無輸血手術その8(転院をしてください)

お腹が血の海と聞いて、妻の容態が深刻な事態であることが容易に理解できた。 「話し声がきつい」「もう動きたくない。」と言っていた妻の発言が頭をよぎった。 とにかく、妻の信仰を代弁しなければと、そちらの方へ、今は全力を尽くさねば と思った。医師...
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無輸血手術その7(鹿児島市医師会病院へ)

医療機関連絡委員の兄弟から、鹿児島市医師会病院が受け入れてくださるということで 救急車を頼んで医師会病院へ走った。鬼丸先生も「同乗しましょうか?」と親切に申し出てくださったが、丁重にお断りした。 先生もお忙しい中である。往診に来てくださった...
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無輸血手術その6(血圧64-40)

看護師の姉妹たちが水銀の血圧計を持ってきてくださった。 測ってみると、64-40位という。何度測っても同じだった。 私はしろうとであるが、事態が深刻であることを悟った。 すぐ、厚地脳神経外科に電話したが、「当直が専門外」とのことだった。 そ...
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無輸血手術その5(自宅に帰る)

17:30分ごろ自宅に到着。妻を奥の部屋に寝かせた。 (この家は5LDKで1989年にエホバ神からいただいた温泉付きの家であった。そのいきさつは後日掲載予定) しかし、寝かせたものの身動きするのも痛そうだった。病院に駆けつけて下さった姉妹た...
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無輸血手術その4(不安の中で検査結果を待つ)

この病院の院長先生は、鹿児島で名医と謳われ有名な先生だった。それで県内各地から、大勢の患者さんが診療に通ったり、手術後のケアにも訪れている。それでこの日も待合室大変混雑していた。待合室で待っている間は祈りに集中した。 看護師の方から、頭のC...
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無輸血手術その3(救急車を待つ)

武のトンネルの入口近くからUターンし、厚地脳神経外科に到着したが、救急車は、まだだった。それで受付に、これから救急車がきますが、搬送されてくるのは、私の妻と娘であり、二人ともエホバの証人で、無輸血で治療をしていただきたい旨、院長先生に、お伝...
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無輸血手術その2(救急隊員へのお願い)

「救急車を呼んでいるなら行き違うぞ」「何を私はしてるんだ。」 妻が来てほしいと言ったものだから、そちらに向かおうと直線的に考えてしまっていた。理性が十分に機能していなかった。 冷静に考えることができるように、時間はいくらか進んでいた。 まず...
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無輸血手術その1(事故のいきさつ)

悲劇というのは何の前触れもなく起きるものである。その日、1997年11月6日は、朝からよく晴れていた。 私は、いつものように朝8時過ぎに出勤し予備校で数Ⅲの授業中であった。 いつもは教室に携帯電話は持っていかない(学生が気が散る)のだが、そ...