コロナに思う。

コロナで中等症でも死を意識したと語っている人がおられた。人ごとではない。これだけ

蔓延してくるといつ我が身にふりかかって

きてもおかしくない。

ヤコブ1:13~14「今日か明日あの都市に行って1年過ごし商売をして儲けようという人たち

皆さんは自分の命が明日どうなるかも知れません。皆さんは少しの間だけ現れて消える霧だからです」。

最近。約20年前の日記が出てきた。そこには

トルストイの言葉が書き込んであった。

「死への準備をするということは、良い人生を送るということである。良い人生ほど、

死への恐怖は少なく安らかな死を迎える。

崇高な行いをやり抜いた人には、もはや死は

ないのである」。

考えさせられる言葉である。

{崇高な行い}で思い出すのは、イエスキリストがある富んだ若い支配者に述べた言葉である。

マルコ 10:17~25

「 イエスが進んで行くと、ある男性が走ってきてひざまずき、こう質問した。

「良い先生、永遠の命を受けるには何をしなければなりませんか?」。

イエスは言った。「なぜ私のことを善いと呼ぶのですか。神以外に善い者は誰もいません。あなたはおきてを知っています。[殺人をしてはいけない。姦淫をしてはいけない。

盗んではいけない。偽りの証言をしてはいけない。騙し取ってはいけない。父と母を敬いなさい]」。その男性は言った。「先生、その全てを子供の時から守ってきました」。

イエスはその男性を見つめ、愛を抱いて言った。「あなたには1つのことが欠けています。行って持っている物を全て売り、貧しい人たちに与えなさい。そうすれば天に宝を持つようになります。それから来て私の弟子に

なりなさい」。しかし男性はこれを聞いて悲しくなり、悲嘆しながら去っていった。

多くの資産を有していたからである。