集中治療室(ICU)では24時間体制での看護が始まった。どのくらいの患者がベッドに
横たわっていたかは、はっきり覚えていない。妻の鼻にはチューブが数本入れられている。
「中には耐えきれなくて、自分でチューブを引き抜く方もおられるんですが、奥さんは辛抱強い方ですね。いつもそうなんですか?」と看護師の方から言われた。
2日目(11月8日)に麻酔科の先生が来られて「ヘモグロビン値が2.3なので、この状態だと脳に酸素が
いきわたらないので、100パーセントの酸素を肺に送らなければなりません。この書類に
サインをくださいますか?」と、言ってこられた。すぐサインしたのだが、「100パーセントの酸素」のことが、頭の中で、グルグル回っていた。
父も見舞いに来てくれたが、「もうだめかもね。」と話した。もしもの時のために、心を備えておくようにとでも言いたかったのだろうか?妻の顔色が尋常ではなく土色なのを見て、そう思ったのだろう。
控室で寝泊まりが始まった。もう一組のご夫婦は、もう1週間ほど、ここに滞在しておられるようだった。高校生の娘さんがインフルエンザ脳症を発症して、大分具合が悪いとのことであった。
すこし、冷静に物事が処理できるようになっていた。近所の兄弟姉妹も、娘や修学旅行から帰った息子の世話を手厚くしてくださっており、どんな電話がかかってきたかも、丁寧に
受け簿に書いてくださった。本当に感謝である。
私は、予備校の講義、また私立高校の3年生の数学の授業も担当していたので(すべて非常勤講師)、さらにラサール高校の学生の家庭教師も数名させていただいていたので、休みの連絡などをとっていた。
だが、控室では、祈りが中心であった。この時ほど熱烈に祈ったことは過去になかった。
このまま、100パーセントの酸素を送り続けてもいいのだろうか?
素人の私が、「先生、100パーセントの酸素を送り続けても大丈夫ですか?」とも、
「もうやめてください。」と僭越にも言えない。懸命に善意から最善と思える治療をしてくださっているのは、痛いほどわかっていたからだった。でも、ヘモグロビン値2.3の患者を
無輸血で見るのは、初めての経験であるに違いない。と思った。
その時、ある考えが浮かんだ。
難しいことだが、無輸血医療の専門家で、術中血液回収装置(セルセーバー)の考案者である、高折先生に100パーセントの酸素を、このまま送り続けても良いのかを、お聞きしてみようと思った。 高折益彦先生の文献は、医療委員の時によく読ませていただいていた。資料を家にとりに帰った。
医療委員に連絡先を調べていただいていたが、情報が入った。
今は大学を退官されて、検診車の業務に従事されているとのことだった。
2日連絡が取れなかったが、3日目にやっと電話がつながった。その間長く感じられた。
状況を説明させていただくと、先生から、この麻酔医の先生に直接、電話してくださるとの
嬉しい回答を得た。
「今先生が、100パーセントの酸素をやめないと、患者の予後は良くない。」
「やめても大丈夫。」のような会話の内容だったと、記憶している。なんと感謝すべき展開であろう。高折先生にも、この若い麻酔医の謙遜さにも、深く感謝申し上げた。
11月12日に100パーセントの酸素をはずす。その時、ヘモグロビン値は3.1だった。
11月15日、ヘモグロビン値 3.8
11月18日、ヘモグロビン値 5.8まで回復する。
11月21日 手中治療室(15日間)から一般病棟へ移る。