ジェームス王欽定訳聖書によれば、ヨハネ第一5:7節は「天において記録を帯びるものは三つ、父と言葉と聖霊である。この三つは一体である。」
ニュートンは、初期の教会関係者の著作、ギリシャ語およびラテン語の写本、そして聖書の各初版の証拠を用いて、三位一体(エホバ神とイエス・キリストと聖霊は一体)を支持するとされる、「天には父と言葉と聖霊がある。この三つは一体である。」という言葉が、ギリシャ語聖書原本に見られないことを証明しています。
さらに、ウキペディアによると、「ニュートンは生涯を通じてキリスト教研究にも打ち込んでいた。その結果は、1690年頃に執筆された 『ダニエル書と聖ヨハネ黙示録の預言についての所見」と、死後の1728年に刊行された『改訂古代王国年代学』にまとめられた。
晩年のニュートンは「二つの聖句の著しい変造に関する歴史的記述」を著した。
しかしこれは、イングランド国教会の教義とは異なるため、弾圧を恐れて生前には、発表しなかった。(1754年刊行)その中でのニュートンの考えの概略は、「三位一体の教義は、アタナシウスが聖書に持ち込んだのだから誤りだ」というものであった。
アタナシウスの教義(世界史の窓:世界史用語解説から引用)
イエスの神性を認める教義を主張してニケーア公会議で正統とされ、さらに神とイエスと聖霊の三位一体説をキリスト教の正統教義として体系づけた。
キリスト教の盛んであったローマ時代のエジプトの、アレクサンドリアの司教であったアタナシウスは、イエスは神の子であり本質において神性を持つと主張し、イエスの神性を否定して人性とみるアリウス派に反対した。両派の対立は深刻となったため、325年にコンスタンティヌス帝によってニケーア公会議が開催され、アタナシウスの説がローマ教会の正統の教義とされた。アタナシウスは初期キリスト教の教父の一人とされている。
アタナシウスの教義
アタナシウスの説いたことは、「哲学的、論理的であろうとなかろうと、キリストは本当の神性を持ち、まさに神自身と全く同質である」とということであった。論理的ではないけれども、これはキリスト教の伝統的なキリスト観であり、多くの素朴なキリスト教徒たちは、自分たちの救いを神なるキリストに託していたのであった。そして、イエスは神聖ではあるがあくまで人の子であり、神そのものではない、というアリウス派とするどく対立した。ニケーア公会議で激しい論争の結果、正統とされ、後にさらに神とイエスを一体と見るこの考えに、聖霊にも神性を認める考えが結びついて、後に三位一体説が出来上がる。
