未分類 無輸血手術その10(手術をして下さる) 感謝すべきことに、院長先生自ら、他の外科医と麻酔の部長先生とオペをして下さることになった。オペは真夜中の午前0時に始まった。私は控室で、ひたすら熱烈に祈りながら、 待っていた。思えば、朝の事故から13時間ほど経過していた。手術の時間が途方も... 2023.01.05 未分類
集中治療室15日間 無輸血手術その9(奇跡が起きる) ちょうどその時(22:30頃)、10メートルくらい先の通路を、一人の人が歩いて通り過ぎようとしているのが見えた。 「あっ、院長先生だ。」 私はとっさに院長先生にかけより、「院長先生、私です。 エホバの証人で会見をお願いした。」 「ああ、ああ... 2023.01.05 集中治療室15日間
集中治療室15日間 無輸血手術その8(転院をしてください) お腹が血の海と聞いて、妻の容態が深刻な事態であることが容易に理解できた。 「話し声がきつい」「もう動きたくない。」と言っていた妻の発言が頭をよぎった。 とにかく、妻の信仰を代弁しなければと、そちらの方へ、今は全力を尽くさねば と思った。医師... 2023.01.05 集中治療室15日間
集中治療室15日間 無輸血手術その7(鹿児島市医師会病院へ) 医療機関連絡委員の兄弟から、鹿児島市医師会病院が受け入れてくださるということで 救急車を頼んで医師会病院へ走った。鬼丸先生も「同乗しましょうか?」と親切に申し出てくださったが、丁重にお断りした。 先生もお忙しい中である。往診に来てくださった... 2023.01.04 集中治療室15日間
集中治療室15日間 無輸血手術その6(血圧64-40) 看護師の姉妹たちが水銀の血圧計を持ってきてくださった。 測ってみると、64-40位という。何度測っても同じだった。 私はしろうとであるが、事態が深刻であることを悟った。 すぐ、厚地脳神経外科に電話したが、「当直が専門外」とのことだった。 そ... 2023.01.03 集中治療室15日間
集中治療室15日間 無輸血手術その5(自宅に帰る) 17:30分ごろ自宅に到着。妻を奥の部屋に寝かせた。 (この家は5LDKで1989年にエホバ神からいただいた温泉付きの家であった。そのいきさつは後日掲載予定) しかし、寝かせたものの身動きするのも痛そうだった。病院に駆けつけて下さった姉妹た... 2023.01.02 集中治療室15日間
集中治療室15日間 無輸血手術その4(不安の中で検査結果を待つ) この病院の院長先生は、鹿児島で名医と謳われ有名な先生だった。それで県内各地から、大勢の患者さんが診療に通ったり、手術後のケアにも訪れている。それでこの日も待合室大変混雑していた。待合室で待っている間は祈りに集中した。 看護師の方から、頭のC... 2023.01.01 集中治療室15日間
集中治療室15日間 無輸血手術その3(救急車を待つ) 武のトンネルの入口近くからUターンし、厚地脳神経外科に到着したが、救急車は、まだだった。それで受付に、これから救急車がきますが、搬送されてくるのは、私の妻と娘であり、二人ともエホバの証人で、無輸血で治療をしていただきたい旨、院長先生に、お伝... 2022.12.31 集中治療室15日間
集中治療室15日間 無輸血手術その2(救急隊員へのお願い) 「救急車を呼んでいるなら行き違うぞ」「何を私はしてるんだ。」 妻が来てほしいと言ったものだから、そちらに向かおうと直線的に考えてしまっていた。理性が十分に機能していなかった。 冷静に考えることができるように、時間はいくらか進んでいた。 まず... 2022.12.29 集中治療室15日間
集中治療室15日間 無輸血手術その1(事故のいきさつ) 悲劇というのは何の前触れもなく起きるものである。その日、1997年11月6日は、朝からよく晴れていた。 私は、いつものように朝8時過ぎに出勤し予備校で数Ⅲの授業中であった。 いつもは教室に携帯電話は持っていかない(学生が気が散る)のだが、そ... 2022.12.29 集中治療室15日間