- イザヤ53章は、一世紀当時、秘儀とされていた。当時のレビ人もイエスの弟子たちも
イエスから教えられるまでは理解していなかった。現在の私達は53:5「彼は私達の違反のために刺し通され私達の過ちのために打ち砕かれた」53:6「エホバは私達皆の過ちを彼に追わせた」という文脈からイエスに関する預言であるとすぐわかるのだが、イエスの弟子たちも理解していなかった。なぜならマタイ16:21で「イエスは自分が必ずエルサレムに行って、長老と祭司長と律法学者たちから多くの苦しみを受け殺され、3日目に生き返るということを弟子たちに説明し始めた」するとペテロはイエスを脇に連れていき、「主よ自分を大切にしてください。決してそのような目にはあいません」と言って叱り始めた。
このことから弟子たちはイザヤ53章を理解していなかったと思われる。ではいつ53章を理解したのであろうか?イエスが復活してからエマオへの道であった2人に話、その後11人と会った時だろうか?と考えていたが、最後の過ぎ越しの時かもしれないと考え始めた。というのはルカ22:37でイエスは「彼は不法な者たちと共に数えられた」という言葉は私に関して必ず成し遂げられるからです。これは私に関して実現しつつあります」これはイザヤ53:12を引用されての言葉だった。それで弟子たちはイザヤ53章がイエスに成就するということを、この時知ったのではなかろうか。それで福音伝道者フィリポもエチオピアの宦官に正しく伝えることが後程できたと考えられる。しかし、2026年4月号11節によれば、やはりはっきり理解したのはイエスの復活後だったようである。
