性急な人

「人間の幸福は,主として物事をなし遂げることによって得られます。楽器を習うにしても,演奏できるようになるまで練習する人は,楽器をかなでて楽しむことができます。習いはじめてすぐやめる人は,そうした楽しみを決して得ることができません。
同じことは,手細工,木工,大工,機械,裁縫,あるいはまた,外国語や数学を学ぶといった知的な種類の事柄についても言えます。
どんな計画や割り当てや仕事であれ,それをやりとげるなら,満足と喜びを得ます。、、、

注意を集中する力をつけるには,小さな子どものもう一つの特徴である性急さを克服しなければなりません。子どもはふつう,物をその場で得たいと思います。何かをしようとして,二,三度試みてもうまくゆかないと,たいていはすぐにやめてしまいます。人生で非常に価値ある物を得るには相当の時間と努力が必要なことを認識していれば,すぐにあきらめないようにすることができます。、、
困難のために消極的で悲観的な考え方をするようになると,続けていく力が奪われます...

その代わりに事態を一つの挑戦とみなし,特別の努力を払って,そうです,頭と力と時間を特別に傾注してそれに立ち向かってください。挑戦は,それから逃避しなければ,生活をおもしろいものにします。克服すれば,自信が増し,やりくりじょうずになるので,さらに大きな確信と喜びを持って将来の仕事に当たることができます。」(1972/8/1p466から引用)

私たちの宣教も、(コリント第二4:7)と述べている。
しかし、私たちは、性急さと闘っていく必要がある。すぐに成果が得られないとしても、工夫に工夫を重ね、頑張り続ける必要がある。そしてパウロのように、神からの力に頼って奉仕していきたいものである。さらにパウロは、機転も利かせていた。ギリシャの詩人の言葉も引用した。

集会でも、「私たちも時には、歴史書や百科事典など、権威のある文献から引用することができます。」と述べていた。

思い出したのは、西郷隆盛は聖書を読んでいたということだった。それで今回調べてみると、
2007年12月8日の南日本新聞には、「西郷南洲顕彰館館長は、側近に漢訳聖書を貸し与えたとの記述から(私の明治維新:上野一郎)から、西郷が聖書を読んでいたのは確実」と述べている。

とても興味深い事である。

「敬天愛人」も、ひょっとしたら聖書からきているのかも知れないと思った。

また、三省堂の国語辞典には、「エホバ」の項目が以前はあった。今も載っているか検証したい。なぜなら、「ソドム」や「乳香」は削除されたと書いてあったからである。。

また、面白いことに、JW.orgでは、『「聖書に対する洞察」は、聖書のいろいろなことが分かる聖書百科事典です。』と書いてあった。