紹介された病院には水曜でも良いと言われた。それは、おそらく月曜が引っ越しで、火曜も会社の相談役を車でお連れする予定があることを先生に言ったのであろうと思われる。
「しかし、聖なる力はそれを許さず、月曜に紹介先の病院に行った。」と書いてあった。
担当の内科医は、良い人だったが、妻が「私はエホバの証人です。」というと、「この病院では治療ができないので、他の病院に紹介状を書きます。」と言ってくださった。
ヘモグロビン値はというと、3月4日の時点では11。
3月27日は8.3。この日は8.0に下がっていた。
私の知り合いの姉妹が、ここで手術をしてもらっていたので大丈夫と思っていたが、輸血が関係しない手術だったんだろうと思った。
妻が点滴中で相当時間がかかるようだった。先生も受け入れ先を探してくださっていると思ったが、面倒をおかけするのもと思って、調整者の兄弟に電話して、受け入れ先を
探していただいた。医療機関連絡員を通して、岸和田徳洲会病院の尾野亘先生が受け入れて
下さるということだったので、看護師に、「無輸血治療をして下さる病院が見つかったので、そちらに紹介状を書いていただけるよう先生に頼んでいただけないでしょうか?」と
伝言を頼んだ。すると「そんなことできるんですね?」と感心された様子と不思議そうな
返答だった。先生は、ご親切に、「私も先生は存じ上げています。」と紹介状を書いてくださった。
翌日の火曜日は家の引っ越しの日だったので、息子夫婦(インドから一時帰国中)と隣の会衆の娘夫婦に頼んで、私は妻と一緒に予約時間の9:30前に岸和田徳洲会病院へ行った。
まずは血液検査(人が多くて40分位待つ)、その後CT、胸部エコー。このあたりで胃潰瘍の診断がたっていたのであろう。
午後2時くらいから、内視鏡手術をして下さった。術後麻酔が切れてから、出血個所を焼いた痕跡を写真で見せて下さった。
夕方4時ころ、「入院が必要ですが、この病院には空きベッドがないので、他の病院を探しています。」と、先生。それから30分後、病院が見つかりました。
「 市民病院です。車で行けますか?」と先生。「はい、大丈夫です。」と私。
しかし、それから30分して、「私の今日のオペも最後ですから、私が付いていきます。」と先生。なんと親切な先生だろうと思った。この時は、消化器内科の一先生と思っていたが、なんと院長先生だった。まだお若い(50代くらいに見えた。)のに院長とは、優秀な先生なんだろうなとと思った。それにしても、転院先まで行ってくださり、明日もその病院で
内視鏡手術をして下さるとのことだった。感謝感激!
先生は、病院のワゴン車(妻はベッドに寝て)で行かれて、市民病院で待ち合わせることに。しかし、ここで私が病院を間違ってしまった。先生が言われた市民病院とは和泉市立総合医療センターのことだった。私は岸和田市民病院に到着して待っていた。待てど暮らせど車はこなかった。ついに電話が病院からきた。「どこにおられますか?」それでやっと勘違いにきづいた。でも尾野先生は気分を害されることもなく、翌日も内視鏡手術をしてくださった。この病院はエホバの証人の無輸血手術はかねてしない方針の病院と後から聞いた。
それで、5日ほど入院したが、そこの看護師の方々から「輸血をしなかったそうですね」
と妻に聞いてこられたようだった。
術後、半年して胃カメラでもう一度検査した。その際、感謝の手紙をお渡しすることもできた。「この治り方は30代の人のようですよ。あとがとても綺麗です。」と言われた。
私は、内心、あのせいか?と思った。私がその鉱泉水だけを飲んで、胃潰瘍を治したのだが、以前は私しか飲んでいなかったその水を、術後、妻がせっせせっせと飲んでいたことを知っているからだった。
その後、もう一度尾野先生にお会いする機会があったので、「病院長のお仕事もお忙しいのに、患者さんも診察してくださるのは頭が下がります。」と述べると、「今日はこれから北海道に行くんですよ。」と、北海道にも徳洲会系列の病院があるようなので、指導に行かれるのかなと思った。いずれにしても、本当に感謝に堪えない経験をさせていただいた。
この経験を、沖永良部の先生にも、ぜひ伝えていただければ幸いである。