1997年の事故から2023年まで、26年間が過ぎた。私の高校の同級生の四本君と帖佐君(いずれも開業医)は会うたびに、「奥さんは元気?」と聞かれた。特に帖佐君は「おかしいなあ?脾臓摘出だったら、どこかに支障がくるはずだがなあ」と正直な感想をのべてくれていた。
事故の翌年は、二人でメルボルンの国際大会に参加することができた。費用はというと
車の任意保険の後遺障害の見舞金が入ったので、それでいくことができた。(妻は笑って、痛い思いで、いただいたお金と言っていた。)
この保険金は、最初は保険会社に拒否されていたが、粘り強く交渉して勝ちとった権利だった。
その後、2012年からは二人でタイの地に赴き、タイ語での奉仕を、7年7か月楽しむことができた。今も大阪の地(結婚した時に住んでいた街)で、開拓奉仕(これまで約38年)に
いそしんでいる。エホバ神と医療従事者や仲間の兄弟姉妹に感謝でいっぱいである。
私たちも今年で結婚50年である。喧嘩らしいことを一回もしたことがないのは、主に妻の人徳に追うところが多い、妻の趣味と言えば、聖書の通読と、集会の予習。ものみの塔や書籍研究の資料はびっしり線が引かれている。(これは勧められていないが。)
妻には、買い物の趣味もなかった。金銭的余裕がなかったからである。タイでの奉仕も毎年赤字であった。(ある兄弟は、毎年私たちのタイでの奉仕を支えて下さり、また様々な会衆の方々も支援してくださった。子供たちも応援してくれた。)
結婚生活で、今やっと妻が欲しい服などがやっと買えるようになった。
これはひとえに、ある姉妹(妻が約40年前に研究司会させていただいた。)のご主人さんが、仕事の機会を私に与えて下さったからである。(何歳まで続くはわからないが。)
でも、次の聖句に確信を置いている。「若かった私も、今は年老いた。だが、正しい人が見捨てられるのを見たことも、その子孫たちがパンを探すのを見たこともない。」
(詩編37:25)
そして、次の聖句も成就している。「家と富は父祖から相続するもので、思慮深い妻はエホバからのものである。」(格言19:14)