無輸血手術その7(鹿児島市医師会病院へ)

医療機関連絡委員の兄弟から、鹿児島市医師会病院が受け入れてくださるということで

救急車を頼んで医師会病院へ走った。鬼丸先生も「同乗しましょうか?」と親切に申し出てくださったが、丁重にお断りした。

先生もお忙しい中である。往診に来てくださっただけでも、本当に感謝であった。

鹿児島市医師会病院は鴨池にある。ここは1973年に霧島市に新空港ができるまでは

鹿児島の表玄関だった。桜島の目の前に位置している。海岸では毎年花火大会があり、

与次郎が浜は海水浴場でもあり、ボートも相当数いた。

この与次郎が浜の埋め立てが、1967年から5年で完成した。6キロ先の城山(西郷さん自決の地)の土を水に溶かせつつ土管を通して海まで流すという当時としては画期的な手法であった。それで、松林のあった風景も様変わりし、今では鹿児島県庁やその他の会社やマンションも多く建ち、医師会病院も建設されたのだった。私は大学を卒業するまで、この病院から徒歩3分の所に住んでいた。

22:00分頃、医師会病院へ到着した。夜間なので、入口は薄暗かった。救急隊員が担架に

乗せたまま、救急外来へ妻を搬送してくださった。

(本日2度目である。最初の時から約10時間後)

10分位たっただろうか。医師が私に中に入るようにと呼びにこられた。

「超音波の検査で、脾臓の近くに大きな塊があり、血の海です。CTを撮らないとわかりませんが、手に負えません。輸血しましょう。」と奥さんにいったのですが、「それは信仰上できません。輸血なしで何とかお願いいたします。夫が隣にいると思いますので、夫に聞いてください。」と言われるものですから。」その時点で、ヘモグロビン値 9.5