無輸血手術その1(事故のいきさつ)

悲劇というのは何の前触れもなく起きるものである。その日、1997年11月6日は、朝からよく晴れていた。

私は、いつものように朝8時過ぎに出勤し予備校で数Ⅲの授業中であった。

いつもは教室に携帯電話は持っていかない(学生が気が散る)のだが、その日は何故か

持参していた。朝11:40分頃(後で手帳で確認)、突然携帯*が震えた。眞喜子からである。

しかし、電話の声の主は聞いたことのない男性の声だった。「奥さんが電話してほしいと言われるものですから、実は事故に遭われて」「えっ!」私は一瞬絶句してしまった。

 

教室には50名を超す生徒が座っていた。(鹿児島の東大医進予備校の学生、毎年約50名の学生が医学部に合格していた。)

「すみません。家族が交通事故で大変な様子です。授業は後日補講させて下さい。」

そう述べるのが精一杯だった。

講義室を出て、踊り場で電話を続けた。

「今どんな状況でしょうか?」「奥さんは意識もしっかりされていますが、娘さんの方が

頭から血を流しておられます。」「救急車は?」「はい、呼んであります。」

「わざわざ、通りがかりに、ご親切ありがとうございます。今からそちらに向かいます。」

 

気が動転していて電話をかけて下さった方のお名前を聞くのを忘れていた。

私は、予備校の教務課長に内容を手短に伝え、外出許可を得て、事故現場に急行した。

予備校は鹿児島中央駅(以前は西鹿児島駅)から徒歩で10分くらいの荒田町にあり、

武のトンネルを越え高速を使えば事故現場までは25分くらいで行くことができる。

 

男性から事故現場は南方小学校から100メートルくらい東俣寄りと聞いていた。

急いで駐車場に行き、焦る気持ちを抑えながら、車を走らせトンネルの近くまで来て、

我にかえった。

* 携帯:私は昔は約3キロのショルダーホンも使用していたが、1991年から今の小型の携帯電話が使われるようになったとのことである。